与えや

与え、与えられ、やじうま人生 与えて頂くことの多きこと!

コロナで失った雑談

こんばんは
与えやです。

先日、友人のやってる喫茶店に数ヶ月ぶりに知り合いが寄り合った。


春以来だ。

よくぞご無事でと
マスク越しの笑顔。


みんな高齢者なので
ここは素直に喜んだ。

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趣味のサークルが再開したが集まりは悪いとのこと。


勇気ある再開をよろこんだのもつかの間、経費がもたず危ぶまれている。


マスクを外してくれた人、付けたままのひと
会話にも表情にも遠慮が隠せない。


密や2メートル、飛沫感染などのことばがどうしてもよぎる。


用足しの会話だけで暮らしてきたら、雑談も表現が乏しく、名前などいっそう出てこない!


情景などは数人で持ちまわってやっと浮かぶ情け無さ。

どうでもいい事をよくしゃべるねって悪口を言われた頃が懐かしい。


遠慮なくお喋りして、笑い飛ばすなんて光景は当分戻って来なさそうです。


女性は1日2万語を話さないとストレスがたまるということを聞いたことがある。

そうかもしれない。


今はそうだと確信する。

たわいないおしゃべりや、雑談でお互いの距離がはかれたのに、みんな遠い人になってしまった。

新しい時代のおしゃべりって
どんなスタイルになるのでしょうね?


ウィズコロナから生まれる距離感のある親しみかたって肩を叩いたり、手を取り合う情景は
透明な板にはばまれやがて忘れてしまうのでしょうか。

今日も懐かしい笑顔を与えて頂きました。